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ウ ス バ カ ゲ ロ ウ

 愛してるんだって言われた。刺されるかと思うくらい濃い緑玉で、見詰めながら。
 そんな台詞をそんなにも真剣に言われたことなんてなかったからものすごく照れたけど、同時にものすごく嬉しかった。
 正直こいつが好きかどうかもわからなかった、いや好きなんだろうけれど、それが恋愛感情なのかなんなのか確言できない。だけどずっと傍にいて欲しい、そんな曖昧な感じ。
 嫌悪なんて浮かばなかった。ただ無性に恥ずかしくて嬉しくて。
 だから素直に嬉しいって、そう答えたんだ。
 そうしたら、襲われた。
「いってえっ」
 にじり寄ってきた八戒から逃げるように後方へと下がったらそれを見越していた八戒がどのように動いたのか一瞬でわからなかったけれど足払いをかけてきたらしく、俺は不安定になった足元からくず折れるようにして倒れた。背中にあったベッドの縁に下がった後頭部のへこみと出っぱりがちょうどよく引っ掛かって思わず出したのがさっきの台詞だ。鼻の奥にツーンとした痛みが走る。やばい、鼻血なんか出したら俺の美顔が崩れる。いや、そうじゃなくて。
「ちょ、ちょちょ、八戒!」
 打った後遺症からか青い星が瞬く視界に八戒のスリッパを履いた足先がこちらへと寄ってくるのが斑に見えて俺は必死に腕を前に出して牽制しようとした。下へとさがる勢いに追いつかなかった髪が今更ふわりと顔にかかって前が見えず、実際巧く牽制できているのかはわからなかったけれど。
 カーペットを滑るやつの足音が聞こえたから牽制なんてできてねんだろうな。
「なんですかそれ、洒落ですか」
「違うわボケっ」
 混乱する頭を必死に振り絞って突っ込みを入れた自分に乾杯だ。お陰で瞬くお星様が二倍になったぜ畜生。
「ボケはあなたでしょう。僕は常に突っ込みです」
「それは絶対ない! っつーか漫才の話をしてんじゃねぇんだよ俺はっ」
「じゃあなんの話なんですか」
 なんでそこでお前が切れるんだ切れたいのは俺だろそういうのなんつーか知ってっか逆切れっつんだよ大体この突飛な行動はなんだお前俺のこと愛してるんだろだったらもうちょっと丁重に扱えよ素直に答えた俺はなんだったんだ喧嘩したいならしてやるさああしてやるさかかってこいやこの野郎。
 胸の中で俺にとっては正当な悪態を羅列しながら怒鳴った勢いの目眩にひたすら耐える。口がうまく開かないのは頭を打ったことがいまさらキたのか、痺れてうまく動かないから先のような長い台詞は言えそうにない。くそ、くだらないボケに突っ込む前に文句を言えばよかった。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃあるかボケ」
 痺れを我慢して口を開いて先ほど打った頭を摩ると微妙に熱くなっていた。この感じではたぶん瘤ができる。この年にもなって瘤かよだせぇ。
「大丈夫みたいですね」
 こいつ殺したい。
 本気でそう思ったのなんて何年ぶりだろうか、記憶を探っても薄いけど確かあんときは俺が悪かった気がする。しかし今回は正当だ。俺は少しも悪くない。
 しかし、だ。俺にとっては正当でもやつにとったら正当ではないかもしれないし、切れたやつはなにをしでかすかわからない、と俺は長年の経験上悟っている。生憎と。
 だからいまだに巧く牽制できていない両の腕を今度こそとばかりに思い切り伸ばして。
「いやおおお落ち着こう落おおおち着こう落ち着ここここうな落ち着けぇぇええ?」
「あなたが落ち着いてください」
 切れてる割にもっともなご意見ありがとう八戒さん。
「言っとくけど僕はいたって冷静ですよ」
「ど・こ・が・だっ」
「ここ」
 頭をツンツン指差しながら言うのはいいとしてどうして突付くのが俺の頭なんだ。っていうかいつの間に目の前まで寄ったんだ。気配消してもなんも得なことねぇぞ俺がびっくりするくらいだ。
 いまだ目の前にカーテンのように垂れ下がる髪のあいだからしゃがみこんでる八戒のモノクルだけが異様にはっきり見えてやっぱりこの腕は無意味だったかと力を入れすぎて痺れてきた腕を下げ、ようとしたら掴まれた。
 だから俺をびっくりさせてなにがしたいんだこいつは。
「放せーッ」
「あなた、嬉しいって言いましたよね」
「言ったよ言った言いましたっ」
 八戒に掴まれてる腕をぶんぶん振り回しながらヤケクソ気味に答えても八戒の手は一向に外れないし寧ろ放さないというように強く締め付けられたりなんかして。
 こいつ、華奢な体のどこにこんな力を隠し持ってやがった。
「じゃあいいじゃないですか」
「なにが!」
 なぜだろう、途轍もなく嫌な予感がする。
 これって、あれか? 気持ちを確かめ合った男と女の次のステップってやつか? でもそれは男と女の場合であって俺たちは明らかに男同士であって、第一俺はおまえのこと好きだなんて一言も言ってないし、いや好きだけどなんていうかお前の気持ちとは明らかに違うような気もするし。
 だからとりあえず今は。
「やめよう! やめよう八戒、な?」
「やめられるわけありますか」
 あるだろうよ男同士だとかなんとかいろいろ。それともそんな現実関係ないって言いたいのか?
 なにこいつ、そんなに俺とやりたいの?
 っつーかこの状況だったら、俺をやりたいのか?
 だって男同士ってことはやっぱりどちらかが女にならなきゃならねぇんだろ?
 …。
 いや待て待て待てその事実は俺の脳内が考えるのを拒否してる! なんでかって? だってそんなん当然じゃねぇか、やったことないのに考えられるか? っつーか考えたくねぇんだよこのやろう。
 わかるか? 俺は女としかやったことがない。つまりだから俺の範疇は女オンリーで男は問題外というか考えるまでもなく。
「嫌だ!」
「なんですって」
 だから切れんな恐い!
「だって嫌なもんは嫌!」
「子どもみたいな我がまま言わないでください可愛いから」
 やばい、目眩が。しかもさっき頭を打ったときよりももっとくらくらふらふらする感じの。
 大の男に向かって可愛いってお前。
 お願いだ、今すぐ病院行ってくれ。
「ちょっとの我慢ですからいいでしょうが」
 よくねぇよ。
 ちょっとの我慢もなにもしたくない少なくとも今求められてるもんに対しては。大体それって我慢すべきことじゃないし俺が我慢しなきゃならねぇ謂れもないじゃん。
 だから締め付ける八戒の手が血管すら止めそうな勢いで脅してきても我慢なんてしてやれねぇよ悪いけどっ。
「駄目、無理、絶対ノー!」
「なんで駄目で無理でノーなんですか」
「つかいくらなんでも早すぎるだろ!」
 いやそれもこの場合相応しくないだろ俺、時間がたったからってそうそう受け入れられるわけでもないし。
 ああもう、自分でもなに言ってるかわからんくなってきた。
「なに今更純情ぶってるんです今まで何人もの女の人泣かせてきたくせに」
 なんだとこのやろう。
 混乱してる頭でもはっきり聞こえてきた非難。いや、単に事実を言ってるだけだろうよ目が淡々としてるから。でもけど、なんていうか、腹立つ。
 だってそんなこと。
「てっめぇにゃ関係ね…」
「僕、あなたのそういうところ嫌いです」
 …は?
 嫌い?
 お前さっき愛してるって言ったじゃねぇかよ。
 美顔が崩れるのも構わず俺は阿呆みたいに大口を開けた。捕まれた腕が締め付けられすぎて痺れてきてる。
 嫌い?
「嫌いです」
 「嫌い」という音と一緒に奴の口も「嫌い」という形に開かれて、それがスローモーションの映像みたいに流れてる。あれだ、遠距離からの生放送。口と声が合ってなくて微妙な苛立たしさを感じる、あれ。
 嫌い、なのかよ。
 なんだ、嫌いなんだ。
「悟浄?」
 腕とか身体とかぶんぶん振り回して抵抗してたのにいきなり固まって俯いたからだろうな、八戒が心配そうに覗き込んでくる。ざんばらになった髪が顔を隠してくれているからろくに見えないだろうなんて思いながら。
 なんだ自分、すげぇへこんでる。
「お前、俺のこと嫌いなんだ」
 誰だよこんな泣きそうな声。自分の口から出たとは思えねーな。
「そうですよ」
 さらりと言われるのも、八戒のあのお綺麗な顔から出てるとは思えない。さっきは優しそうに笑いながら愛してるって言ったくせに。
「むかつきます」
 むかつかれてるらしいぜ俺。どうするよ、結構ショックだ。
 そんでもってなんだよ俺。
 ショック受けるくらい、八戒のこと好きじゃん。
 八戒に捕まれてた腕が外されてだらりとカーペットに落ちた。止められていた血流が活発に流れるのもどうでもよく感じる。別に腕が壊死しようがなんだろうがどうでもいいから。
 誰か、やつにもう一回「愛してる」って言わせてくれ。
 するりと八戒の手指が痺れた俺の手先に絡まった。
「むかつくんですよ、」
 願い虚しく俺がへこんで口答えできないのをいいことにまた言いくさる八戒の手が言葉と裏腹に優しく指を撫でている。触られたところからじんじんと、棘のような痺れが広がってなんだか泣きそうだ。
「苛々するんですよね、あなたが他のひとといるのが」
 …あ?
「僕以外のひとと一緒に、そういうことして欲しくないんです」
 …えーと?
「僕だけのものになってくれませんか」
 …なんですと?
 つまり、それって、なんだ、あれか?
「嫉妬?」
 なの?
「そうですよ」
「嫉妬してむかついてんの?」
「そうですってば」
「俺がむかつくんじゃなくて?」
「いやだからそういうことしてるあなたがむかつくんです」
 ええと。
 つことはなにさ。
「俺のことは、」
「だから愛してますって」
 うわ、
 なんなんだちょっと待て不意打ちだ、そんないきなり言うな。
 都合よくというか多分計画的なんだろうけど、ベッドルームで告ってきた八戒に抱え上げられて柔らかい布団の上押し潰されながら。
 この独占欲ってちょっと快感かも、なんて思った。
 快不快でしか物事を考えられないってちょっと嫌だけど。
「愛してますよ、悟浄」
 口唇にそっと吹き込まれた最初の告白。
「悟浄は僕のこと愛してますか?」
「…」
 沈黙返したのは俺がまだそこまで言える勇気がなかったから。そこまで言っていいのかわからなかったから。
 でもたぶん、好き。ショックを受けるほどには、好き。
 口に出してそんなこと恥ずかしくて言えないけど、好きだから。
「これから、女遊びはなるべく控える」
「そんなことできないくらいに愛してあげますよ」

 やっぱり俺、道間違えたか?

(20040121)(20070902改定)
犬も食わない。
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