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「そういえば今日、誕生日でしたっけ」 今日という日ももうそろそろ終わろうかという時間、キッチンで明日の下ごしらえを済ましたらしい八戒がなんの気なしに呟いた言葉に、悟浄は眺めていた紫煙から視線を逸らせてそちらを振り返った。ソファの背もたれにそっくり返って逆さまに見える八戒の姿はいつもそう、なにを考えているのかわからない。 そっくり返ったまま考える。誕生日? 「俺の?」 「僕の」 八戒にさらりと返された言葉にふーん、と唸ってから。 悟浄は吸い込んだ紫煙を肺に流し込む前に思い切り吹き出した。 「早く言えよそういうことは」 咽せながら身体ごと振り返って。 ひとのことならいざ知らず、自分の誕生日をそういえば、と言ってしまえる神経に脱帽だ。 洗い物を終えたらしい。水を止める高音がコンクリートで囲われた室内に響き渡る。傍にあったタオルで水に塗れたその綺麗な手を拭いている様は何事にも無頓着な感じで、本当に今日が彼の誕生日なのかと疑ってしまいそうだ。 だって、と八戒が言葉を次いだ。 「言ったら、なにかしてくれてました?」 付加疑問の形にして問われれば言葉に詰まる。期待などしていないような諦めた言い方に腹を立てるけれど、確かに自分はなにをしてやれるわけでもないし大したプレゼントを贈れるわけでもないし。でも、だからといって薄情でもないのだから。 「おめでとうくらいなら、言ってやったのに」 自分でもびっくりするぐらい拗ねたような声だった。 一瞬驚いた顔をすぐに綻ばせた八戒の笑顔が憎たらしいほど綺麗でむかついた。言ってやらなきゃよかった、なんて子どもっぽいけれど。 「もし、ですよ」 誤魔化すように身体を戻して咥えた煙草に点火しようとしたら八戒が思いついたような声で。 「もしも、僕が生まれてきてかったどうします」 八戒はときたまに酷くマイナス思考だ。こういった考えても詮無いことを逐一繰り返して訊ねてくる。そのたびに悟浄はこう思う。 ああ、なんてくだらない。 「知るかよ」 だって。 「だってもう、ここに生まれてんだから、いいじゃん」 ピっ、と不躾なデジタル時計が日付の変わりを示す音を鳴らした。 今更だとは思うけど。 「八戒、」 逆さまに見上げたまま名を呼んで。 「一日遅れの、おめでとう」 微笑んだ八戒の顔にやっぱりむかついた。 ゆっくりと降りてくる口唇に自然に目を閉じて。 「ありがとうございます、悟浄」 注ぎこまれた言葉は、ぬるい温度で悟浄の身体に沁み込んだ。 |
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