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風が強くなってきた。けれど肌寒さは感じない。 ただ春の訪れだけを感じる。 「桜、まだ咲かねえのかな」 町の外れにベンチと砂場だけが設置された小さな公園がある。入り口に柵も置かれていない。 砂場の砂は強い風に舞って、夕暮れに浮かんだ景色をモザイクのように覆う。 昼過ぎに買出しに出たはずなのに気づけば陽も傾いて。 「まだですよ」 砂場でしゃがみ込んだ自分の背後、ふたつ並んで置いてあるベンチの左側のほうに腰かけた八戒の声。 「もう少し暖かくならないと」 苦笑交じりに言うまま、先ほど街で買った大量の荷物が入った買い物袋を漁って、缶ジュースを取り出す音がする。 八戒はミルクティー。自分にはコーヒーを。 砂塗れになった手元とジーパンを払って、八戒を振り返る。流れる風に揺れる短髪を抑えながら、その長い指で支えた片方の缶を差し出して微笑んだ顔が。 夕暮れに染まる。 「悟浄?」 近寄って受け取ろうと伸ばした手先を不意に引いてしまった自分に、問いかけられる声。 別に、覚えてなくてもよいのだけど。 「な、今日がなんの日か知ってる?」 ふたりで買い物に出たことなど数えるほどしかない。いつも行くのは八戒ばかりだ。面倒だし荷物持ちに使われるのも嫌だし。 だからいつもは一緒に行ったりなんかしない。 けれど今日は。 「バレンタイン、でしょ」 意外にもあっさりと、答えが落ちた。それと同時に、陽も落ちた。 暗に埋もれた周囲に消えた八戒の顔は見えなくて。 「…また忘れてんのかと思った」 「実はさっき、思い出したんですけど」 「…」 「嘘ですよ」 見えない中で先ほど引いた手指をつかまれる感触。その一瞬後に燈る街灯。 「この日だけは忘れませんって」 照れたように笑んだ八戒の顔は、あのときと同じで。 去年のことだ。 町に初めてふたりで買い物に出て、そういえば今日はバレンタインだったと気づいて。 ふたりでお揃いの包装紙で包まれたチョコを、ひとつずつ買って。 この公園で交換をした。 ガラにもないけれど、初めてのそれにすごくどきどきして。 好き、って、こういうことなのだと思った。 「買いましたか?」 「とっくに」 あの日は、恥ずかしさから遠くから投げて渡したけれど、今日はちゃんと近寄って。 手渡したチョコはきっともう溶け始めている。 ポケットの中でずっと握り締めていたから。 「去年と同じ包装なんですね」 「同じ店で買ったんだもんよ」 「実は僕も」 少しだけ温かくなっている箱と、その手のひら。 もしかしたらこれも溶け始めているのではないだろうか。 「好き、ですよ」 「…ああ」 「忘れられるわけないじゃないですか」 近づく顔に、重なる息に、深まる緑に、どこまでも吸い込まれて。 溶けて。 「こんなに好きなのに」 「…ん」 この接吻けが、甘くて愛しい。 甘くて。 チョコよりもなによりも、ただいとおしい。 |
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