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一 途 な 水 を 得 た 魚

 初夏、桜が散りきって青々と茂る葉の瑞々しさといったら。例えようもないほど魅せられて、ああ自分は季節の流れに乗っているのだなと改めて感じられる。
 七分だか八分だかの薄いシャツを通して入ってくる蒸した風を、肌がうっとおしいというように汗ばんで拒絶するのですら生きた心地がして気持ちがいい。
 春でも夏でも、秋でも冬でもない、こうした、季節の変わり目が好き。
「曖昧なのがいいんだよ」
 同居人にそう言ったら呆れたように笑われてしまったけれど。
 あなたらしい、と笑ったときのあいつはなんだか酷く眩しかった。
 感じて歩く町並みは、去った季節の残り香ともうすぐ訪れる季節の香りがうまく混ざっていて、吸い込めば爽やかに胸を満たす。ざわめく人々の合間をうまく擦り抜けて颯爽と行けば感じる風は涼しく香った。
 昼間の外出は、悟浄にとって久しぶりだった。
 いつもは決まって夜。それは、夜にしか開いていないようないかがわしい店に出入りするためであるのだが、もうひとつ、昼の光が苦手であるためでも、あった。
 射す陽にいやでも光る髪が昼間という清潔な光に紅い反射を落とすのを見たくなかった。
 そんな子どもみたいな理由で。
 吹っ切れたはずと思っていても、ふとした瞬間に甦る過去が容赦なく痛みを与える、そのたびにどうしようもないほどの所在無さを纏う。
 道に迷った子どもが途方に暮れて、なにかを探すように夕闇に染まりゆく遙か遠くを眺めている。
 所詮、ガキだ。
 幼くして悟ってしまった処世術が染み付いて、自分でも気づかないうちに乗り越えてきてしまったから。わからないままに成長した心は形だけ、見た目だけ巨大で、しかし中を割れば核心はほんの小さな塊でしかない。
 虚勢ばかりがひとり歩きしている。
 そんな自分がなんだかすごく惨めったらしく見えた。
 なのに。
「所詮悪あがきだろ」
 だとか、
「熱いのかと思った」
 だとか、
「綺麗な赤ですね」
 だとか。
 そんな自分を、それこそ容赦なく、癒しては蔑ろにする奴らがいたりもして。
 そんでもってちゃっかり癒されちゃってる自分もいたりして。
 くすぐったくて笑ってしまうぐらいだ。
 いつの間にか見える色は微妙に変化していて。生えてきてもやっぱり赤い髪は、いまは赤くはない。
「なんだかな」
「おい、兄ちゃん」
 ふと、真横から威勢のいい声がして振り向いた。屋台が立ち並ぶ露店街の一角、髭面の汚い親父が温い陽気に汗を垂らしながら、にこにこと悟浄を見ていた。
 そしておあつらえ向きに、手元にはあのときの赤が。
「安くしとくよ」
 自分でもわかる。
「…んーじゃあ貰う」
 いまの自分、ものすごくいい顔してんだろうな。
 あのときと同じ数だけ買って満足したら、浮かんできたのはあのとき隣にいた彼の顔。
 なんだろう、なんでだろう。
 なんだか無性に、会いたい。
「…かも?」
 思い始めたら止まらなくなってしまったことに我ながら呆れてしまう。
 先ほど出かけたばかりなのに、もう家が恋しいと感じる。先ほど行ってらっしゃい、と見送られたばかりなのに、もうおかえりなさいの声が聞きたくなる。
 先ほどまでは満喫していたこの気持ちのよい空気感だって物足りなく思えてしまうなんて。
「あーあ、」
 ため息と苦笑。
 自分のことなのにまったく、困ったものだな、なんて思いながらも踵を返した。

(20030726)(20070902改定)
ベタぼれ。
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