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空気のような存在とはよく言ったもので。 いなくなったらきっと、息もできない。 「あなたが好きで、」 春間際、寒さも和らいだある日の昼日中だった。緩い陽射しの差し込むダイニングテーブルでいつものようになにも言わず、ただページを繰る音だけを規則的に立てていた八戒が、その本から目を離すことなくそう、ぽつりと呟いた。窓際に椅子をひいて座ってゆらゆらと踊る紫煙を眺めている自分のほうに一瞥も注ごうとしないで、ただの軽口のように。 「好きすぎて」 コーヒーと煙草の苦さだけが染み付いた部屋の香りを肺いっぱいに吸い込む八戒の音。春間際、まだ春とはならない、甘い花の香りもまだ咲かない。 「もう一分一秒だって、」 読んでいた本を音も立てずにテーブルへと置く仕草が流れて、開いたままのページに栞を挟み込む動き。伏した顔に光の温さが射して鈍く煌いたモノクルが煙に霞む。濃い煙だった、苦い煙だった。この曖昧な季節感の中でそれはやたらと明確だった。 「離れてなんて、いられないんですよ」 言葉を迷うように選ぶように焦らすように一字一句区切って、あいだあいだに動作を挟んで、そうしてぽつりぽつりと、言葉が光る。煙に霞む。 胸に落ちる。 「酸欠になりそうなんです」 苦笑しながら自嘲する器用で微妙な笑顔で伏した目を上目遣いに変えて、射抜かれて。 煙に隠れることなく、射抜かれて。 「…」 うざったい、と笑って一蹴してしまうことが躊躇われた。そんなのは重いのだと、目を逸らすこともできなかった。特にふざけてでもなく、そうかといって真剣でもなくそう言い切った八戒はとろけそうに微笑んでいて、春間際の温い光がそれをただ照らす。 消え入りそうだった。 消えてしまう? 思うと途端。 胸苦しい。息ができない。考えただけで酸欠になりそうだ。 「あなたは?」 問いかけをされて、痛む胸を押さえた。 「息苦しい?」 自分は。 自分は。 |
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