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「メリーイクリスマース!」 「…」 ずっぱーん、と耳障りなクラッカーを鳴らして部屋に突入してきた悟空の所為で、ドアを開けたばかりの格好のまま直にその大音量を聞いてしまった捲簾は目を閉じているはずなのにそこここに見えた瞬く青い星々に祈りを捧げた。 アーメン。 「あれー? 驚かないよ天ちゃん」 「おかしいですねぇ」 「お前か!」 消えた命の最後の悪あがきでゆらゆらと煙を吐き出すクラッカーを手にしたまま、捲簾からは扉の陰になっていて見えない位置に呼びかけた悟空に聞き覚えのある声が答え、次いで現れたシルエットのひょろりとした男性に思わず怒鳴る。怒りに目を見開いても星は消えないままチカチカと点灯しているから本当に影でしか察知できないのだけれどこの声は紛れもない、あの性悪の声だ。 「お元気ですか捲簾大将」 「てめえのお陰で怒りはマックスだけどな」 「それはよかった」 「よくねぇよ!」 ちょうどよく右手に、上官に提出しようとしていたファイルを抱えていたからよかった。もしそれで天蓬の頭を殴りつけることができなかったらこの怒りは行き場を失って腹の中に吹き溜まり、後々ファイルを渡しに行った上官に対して八つ当たりをしてしまっていたかもしれない。この仕事を無理やり押し付けてくれた顔の生っ白い上官に感謝をしよう。 アーメン。 「捲兄ちゃん?」 初めて仕事の大事さを知った感動といまだ瞬く星々のお陰でどうにも平静になりきれず祈り続ける自分のことを多分不思議そうに眺めているだろう悟空の呼ぶ声と、その隣でたぶん笑っているだろう男の視線を感じ取って捲簾はやっとこ冷静を取り戻した。 とりあえずこの書類を提出しに行かなければ顔の生っ白い上官にお礼も言えないな、と早めに話を切り上げるつもりで話題の矛先を彼らの話に傾けた。 「それで、」 「?」 ひとりは子どもひとりは大の大人、なのにどうしてこうも同じように疑問を浮かべた目で同時に見詰めてくるのだろうか、というか子どものほうは問題ないのだが大人のほうは明らかにからかいの意味も含めて視線を投げてくる。まるで次に出る言葉を期待しているみたいだ。 おちょくっとんのか。 天蓬の顔を見ているとなんだか腹が立つから、とその視線から逃げるように顔向きを悟空に向ける。しゃがんで背の高さを合わせるのは骨が折れるので、腰を屈めて背を低くして。 「栗がなんだって?」 目の前に瞬いていた青い星はいつの間にか消えていた。そのお陰で自分の言葉で変化してゆく悟空の表情の動きをまざまざと見て取れたのだけれど。 一瞬、目を見開いたかと思ったらものすごく明るい笑顔を曝してくるりと勢いよく天蓬のほうを振り返り。 「言ったよ天ちゃんすごいすごい!」 「でしょう? 大将なんて言われてちやほやされてるけど実はものすごい阿呆なんですよこの人」 「オイコラさらりと聞き捨てならねぇこと言うなフケ頭」 叩いたファイルについた白い粉を知らない振りをして払い落としてやったというのになんなんだその態度は、と八つ当たりのように怒りを注げばクスクスと笑い合うふたりの馬鹿にしたような視線を見つけて余計むかつく。なんなんだ馬鹿にして。 今度はファイルの角のほうで殴ってやろうかこのフケが、と右手を勢いよく振りかぶったところで悟空を見ていたはずの天蓬が突然こちらを振り返ってなんとなく、やる気が殺げたけれど。 「なんだよ」 「クリスマス、ですよ」 「お祝いする日なんだってさ!」と隣で天蓬に合いの手を入れるように元気よく悟空が言う。 「でもそんなの捲兄ちゃんは絶対知らないだろうって天ちゃんが言って。きっと驚かしたら栗ってなんだって訊いてくるよって」 「言ったとおりだったでしょう悟空」 子どもはいい。子どもは好きだ。だからこそ、その子どもの前でこの男のことを殴ることはしたくない。傍から見れば痴話喧嘩だと言われようと大人に囲まれていれば止めてくれる人がいるからと安心して喧嘩ができるのに悟空の前ではそうはできない。畜生、所詮は俺も人の子か。 「ねえ捲兄ちゃん」 純粋な目で見詰め返してくる悟空に恨んでも嫌いになれない親のような心境で笑顔を向けて「なんだ?」と訊き返す。願わくばこの顔が引き攣っていませんように、と唱えて本日三度目となる祈りをまた心の中で呟いた。 チクショウアーメン! 「クリスマスのお祝いしよう!」 「あ、?」 祈りにばかり気をとられていたら悟空の言葉を理解するのが一瞬遅れた。お祝い? なんの? クリスマス? そもそもクリスマスというのがどういうものかわかっていない自分にその日を祝う必要がどこにある、というかクリスマスってなんだ、というかなんというか。 「駄目?」 「駄目、っちゅーかなんちゅーか」 というかそれ以前にとりあえずこの書類を提出に行かなければ動きたくても動けない、遊びたくても遊べない、遊んでやりたくても遊べないわけで。しかしこの書類を提出に行ったところで毎度のことながら次のファイルが渡されることになるだろう。しかもあの生白顔は無表情なくせして変なところが捻くれているから次のファイルはとてつもない重さになっているに違いないと今までの経験からしてそう推測する。 それを考えれば自分には遊んでいる暇などないわけなのだが。 「いいじゃないですか、悟空も嬉しそうですし」 きらきらと耀く悟空の純な目を見ているとどうしても断れない、しかし断らなければと思う心との激しい葛藤。 それを察してくれたのか、天蓬が救いの手を差し伸べてくれたこの言葉に捲簾の葛藤はあっさりと霧散した。 「仕事なら、僕も手伝いますよ」 「ああ、じゃあ…あとで行くから」 溜め息をついてわしゃわしゃと頭を撫でれば子どもらしい素直さで「ありがとう」と顔を耀かせて言う悟空。 まったくつくづく、甘い。 「天ちゃん天ちゃんケーキ取ってっ」 「じゃあ一番大きい苺のをあげましょうかね」 「どっから持ってきてんだよその菓子は」 「僕の秘密の伝から」 「天ちゃんその砂糖のやつも!」 「はいはいサンタですねー。悟空、これは頭から食べなきゃいけないんですよ」 「まじで!? 知らなかったあ」 「子どもになに教えてんだフケ頭」 「失礼なあだ名つけないでくださいよ」 「天ちゃん天ちゃん、次はね」 「いいから出て行けお前ら!!」 天界一仏頂面と名高いお偉いさんの部屋でどんちゃん騒ぎを夜中まで繰り広げてから、それぞれ個々人の部屋に戻ることなくそのまま執務室で雑魚寝を決め込んだ四人に、月の光が静かに注いでいた。 眠れない。 うだうだと小さな寝返りを打ちながら捲簾は思う。冴えすぎている月の青光と自分以外の呼吸の音が気になって仕方ない。おかしい、結構な量の酒を飲んだはずなのにと頭を捻ってこめかみに当たったなにか堅いものの感触に、まあ狭い室内に鎮座する不必要に大きな事務机と散乱した酒瓶とお菓子や玩具の数々に囲まれて身動きのできないこの状況で、安眠できるほうがおかしいかと思った。 薄手の肌掛けに包まって安らかな寝息を立てる悟空の髪が頬に当たってくすぐったい。 我慢しても痒くて掻きたくて、悟空と自分の身体のあいだに挟まった腕を引き抜こうとしたら勢いあまって机の角に軽くぶつけてしまった。起きている世界では響かないはずのその小さな音も誰も彼も寝静まったこの時間では意外にも大きく響いてしまうものだ。 案の定。 「眠れませんか」 「悪、起こした?」 捲簾の頭の上のほうに寝転がっていた天蓬の小さく囁くような声が聞こえて悪いことをしてしまったと反省した。 しかし寝かけていたはずなのに案外としっかりした声で「いいえ」と答える天蓬に少しばかり薄ら寒さを覚えたけれどそれはきっと気のせいだと、そう思うことにした、ら。 「っていうか寝てませんから」 そっと、天蓬の息が耳を掠めて。 「だってあなたが傍にいて、寝られるわけないじゃないですか」 重なる口唇の隙間からどちらのものとも知れない熱い息が漏れた。青い光に融けそうに、白い尾を引きながら流れて。 「…てめ、これが目的か」 数十秒の接吻けから逃れることよりも、乱れた息から連なる声をどうしたら漏らさないでいられるのかと、それにばかり気をとられて抵抗するのも忘れたまま手に力を入れて。口唇の解放と共に握り締めた指から力が抜けたそのあとに熱を押し隠した声で恨みを垂れたら「本当はもうちょっと酔ってるはずだったんですけど」ともう充分に濡れた口唇を舌でなぞりながら囁かれた。 「はず」とはなんだ。 すべてが計画的であることを示すそれにまったくもって頭が下がる。どうしてそうやって、無駄なことにばかりその頭脳を回すのか、それならば先に風呂にでも入れ、そうすればフケも落ちて綺麗な頭でものを考えることができるだろう。 いろいろと言いたいことはあったものの言えば言っただけ揚げ足を取るように弄られるだけだと熟知しているから「てめえが隣にいて安心して酔えるかって」と相手を悪者にするように嫌味を言う。 「それって、意識してくれてるってことですか?」 結局なにを言ってもこうなるのだけれど。 どうしたらこいつを追い詰めることができるのか、と自分も少しは頭を捻ってみるのも大事かもしれない。これが終わったら手始めにまず、風呂に入ろう。 「自意識過剰」 「あなたこそ」 駆け引きに興じる割に熱を与える手は休まず捲簾を脅す。 寝静まった世界でふたりの囁き合う声と吐息と、熱だけが動きを持ってうねっていた。 「地上では、クリスマスは恋人と一緒に過ごす日だって」 「知るか、」 「一緒にいたかったんですかねぇ」 誰が誰と、と訊いたら予想通りの言葉が返ってきそうで、想像しただけで照れている自分はそれを音として耳にしたら耐えられない気がしたから、はぐらかすように。 「もう、黙れ…ぁ」 乱れる吐息で牽制したら思わず漏れた溜め息のような声が繋がって案の定「あなたこそ」とからかわれた。 「うるさい、って」 「だからあなたこそ、って」 なにを言っても墓穴だ。 これが最後の祈りだぞ、お願いだから聞き届けてくれ。 よくよく考えたら自分こそ天上人なのに天に祈るのも馬鹿らしい話だが。 アーメン、助けてくれ。 それから数日後。 「明けましておめでとー!」 「好い加減にしろ!」 |
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