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たまにふと、確信を突くようなことを問いかけてくるから、困るのだ。 「八戒はさ、なんで俺がいいわけ」 昼食時珍しく悟浄が作ってくれた食事を互いに無言で平らげた、直後だった。ジッポの蓋をカチカチと鳴らしながら彼が訊いてきたのは。 ラーメンどんぶりの底に沈んだ具をレンゲで浚う様子で誤魔化しながら、ついに気づかれたかと焦る。 「なんのことですか」 「いや、別に文句つけるつもりじゃねえんだけど」 焦りを押し隠して言ったからだろう、多少憮然とした響きになってしまったそれに今度は悟浄が焦る番になった。純粋に不思議に思ったから、と言い訳のように連ねながらジッポの蓋をいじる手が忙しなく動く。食事のためテーブルの隅に下げていた灰皿を押し出してやれば礼を言いながら受け取るその手に小さな傷と微かな血の滲みを見て、たぶん食材を切るときにやってしまったのだろうそれにやはり手伝えばよかったかなどど今更な後悔がよぎった。律儀でもありやりだしたことは最後まで始末しないと気が済まない質でもある悟浄は、きっと食後の皿洗いも自分でやろうとするだろう、けれど小さな傷とは意外に染みるものだ。十月も半ばに差し掛かった現在なら夏場のように膿んだりもしないだろうが、逆に乾燥しすぎてひび割れでもするかもしれない。普段水仕事などやり慣れていない上にそういったことに無頓着な彼なら尚更だ。 せめて後片付けくらいはこちらがやってやろう。 そう思い、我ながら心配性だと苦笑した。そのことでほっとしたらしい悟浄が食後の一服にようやく点火しながら、先の続きを問いかけてくる。 「あの坊主んとこに住んでりゃ、いまごろこんなラーメンなんて食わないで済んだかもしんないのに」 作った本人にすらこんな、と言わしめたラーメンは確かに、出された瞬間思わず眉をしかめてしまうくらいの出来ではあった。麺すら見えないほどてんこ盛りにされた具材に、それを隠すほど振られたコショウやバターといった調味料。たぶん野菜だろうなと想像できる程度で実際になにが入っているのかひと目では判断しづらく、また掬い上げてみれば各々の形も大きさも揃っていない。恐る恐る口をつけてみれば、見た目は味噌だが味は醤油で、後味がなんとなくピリっとするような感じ。しかし意外にもあとを引く風味で、それはどことなく悟浄の持つ雰囲気と似ていた。 「見た目はあれですが、結構おいしかったですよ」 「そりゃどうも」 正直に言っても煙草をふかしながらの上の空だった。たぶんお世辞とでも受け取ったのだろう。いつもそうだ、好意的な言葉は信用されない。照れもあるのかもしれないが彼の場合どちらかというと自己防衛のほうが強いだろうと推測している。信用して舞い上がったところでそれが本音でなかったら目も当てられない、だったら最初から疑ってかかったほうが気持ち的にも楽なのだ。自分もそうだから、よくわかる。 「だからさ、」 ラーメンにつられそうになる話題を戻すように悟浄が言った。普段人に対してこだわりなど持たない彼がこれだけ言い募るのも珍しい。つまりそれだけ彼にとったら重要な問いかけなのだろう。こちらに悟られないように何の気なしに言っている風を装っているが、その赤い毛先や煙草の煙から意を決したような雰囲気が微かに漂ってきていて、またしても身構える。 自分の演技は完璧だ。人の機微に聡い彼ではあるがそれを誤魔化すだけの技量はあると自負している。気づかれているわけなどない。けれど、まさか、まさか。 「なんでココ、選んだわけ?」 言われたそれに腹の底でため息をついた。 ああなんだ。なぜ好きなのかと、問われるのかと思った。 ただ単に一緒にいたい理由なら簡単だ。 「あなたが好きだからですよ」 笑いながら言う。悟浄は相変わらず上の空で。 「嘘つけ」 「ほんとですよ?」 「そりゃどうも」 事実嘘ではない。ただ真実だとわかってもらうにはこの言い方では伝わらないことを知っているだけ。つまりはわざとだ。 でもまあ、どのように言えば真実が伝わるのかもわからない、というのも本音。 結局真実なんて個々人の頭の中にしか存在し得ず、それを明確に伝える術などというものはきっとどこにもないのだろう。言葉は便利なコミュニケーションツールだと思いはするが、心の内すべてを伝えきるにはやはり足りない。ラーメンの感想ひとつにしたって、自分は確かにおいしいと感じそう伝えもしたが、こんなにも信用されていない。頭が足りないといわれれば確かにそうだ、けれど映画について文人の書いた評論よりも街角で受け答えをする小学生の方が的を射た感想を述べるように、知識を詰め込んだ分真実から遠ざかる気もしている。 曝け出す勇気もないからべつにいいといえばそれまでだけど、と一服を終えて煙草を揉み消す悟浄の仕草を見ながら、腹の中で自嘲する。たとえばこの仕草にしたってそうだ。その仕草が好きだと一言言ってしまえば簡単ではあるが、誰彼の煙草を消す瞬間が好きなわけではなく、彼だけのそうした仕草が好きなのだ。ラーメンだって、そのものの味がよかったとか具材がたっぷりだったというだけではなく、きっと悟浄が作ったからおいしかったのだと、悟浄に似た雰囲気だからこんなにも腹が満たされたのだと思う。 しかしこうした思いを抱えている自分を彼に見せきる自信などまったくもってあるわけない。恥ずかしいなどという生温い感情ではなく、それを曝け出して拒否をされたときが耐え難いから。 そう、だからこうして、わざと伝わらない言い方をしてしまう。 本当のところ、頭が足りないわけではなく臆病なだけ。ついでにガキだ。伝わらない言い方を自らしているくせに伝わらないことに拗ね卑屈になっている。 「…俺も、おまえ好きよ?」 「光栄です」 「嘘つけって顔してる」 「そうですか?」 さらさらと流れるように会話をしながらテーブルの上に散らばった食器をかき集める。この程度で本音が出てしまいそうになるのは先の質問を曲解してしまったからだろうか、頭の中に踊る自身への分析と結論があまりにくだらなかったからだろうか。 「ほんとだかんな」 食器を抱えて立ち上がった背中に聞こえた、思いがけず拗ねたような声。振り返れば声と同様拗ねた表情で。 「本当だから」 言い募る悟浄に向ける笑顔は同居を始めたころに覚えた作り笑いにも似ている。滑り出そうになる言葉を反射的に飲み込みながら。 「わかってますよ」 わかっていない調子で呟いた。 まあこの際臆病でもガキでもいい、言ったところでなにになる。 だって、あなたと僕の好きは違う。 |
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