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ル ー プ

 なぜだかとても苛ついていた。
 理由はわからない、ただ原因は明らかに、奴のせいだ。
 いつまで経っても泣いたような怒ったような表情で同じ答えしか返さない奴のせいだ。
「自分とおんなじ顔好きになるなんて、よっぽど自分が好きなんだな」
 四月の半ばから雨が続いている。さめざめと降る小雨であったり雷鳴が轟くほどの豪雨であったり様々であるが、空から落ちる雫は一向に止まらない。
 近くの川が氾濫して掛かっていた橋が落ちた。町に出るためにはその橋を通らなくてはならなかったのに。
 幸いなことに、雨が降り出す直前に例の猿と生臭坊主が来宅するという話になっていたから買出しはしていたのだ。猿の食欲を考えれば、もし彼と自分ふたりきりでは消化する前に腐ってしまうのではないだろうかという量を購入するのは当然で、買出しが終わり帰宅直後に暴風雨になったことから彼らの来宅は延期になったのだが、お陰で橋が落ち買出し不能な現在でもなんとか食を繋いではいる。いるけれども、まあギリギリだ。
 苛立ちを抑制するためのカルシウムも足りない。思考力を助ける糖分も足りない。増してや酒や煙草や、嗜好品と呼べるものなんてご無沙汰だから。
 だからこんな言葉を吐いてしまうのだろうか。
「そうかもしれませんね」
 勝手にそう思っていればいいとでもいうように、頭上から雨と一緒に声が降る。今日の雨は雫が大きく、重い。押し寄せる苛立ちと密閉された空間にふたりきりでいることに耐えられなくて外に飛び出したのは自分だが、いまさらながら後悔する。こんなに重たい雨ならば室内で重い空気を感じているのと大差ない。増してや空気なんかじゃなくて実態のある男に乗りかかられたいまの状況ではどちらが重いかなんて明らかだ。
 草むらに縫い止められた腕がぬかるんだ土の感触を伝えてくる。冬を越えると途端に成長する自宅前の草だが、誰かさんがきてからというものある一定の高さ以上に伸びたことがない。確か昨日は水曜日だったか、その曜日は草刈り日と決められたらしく、本当に丁寧に刈り込まれているから逆に先端が刺さって痒い。
「近親相姦の次は男に走るってそもそもアブノーマルだったってこと?」
 土砂降りの中、庭で寝転がっていたら、そりゃあ服なんて意味もない。意味もない上に邪魔ならばいっそ剥ぎ取ってくれればよいのにそうはせず、わざわざ服の下に手を突っ込んで肌の上を彷徨う冷たい手のひらが気持ち悪い。わざと嫌悪を与えるようにしているのかそれとも、脱がして現実を直視するのがこわいのだろうか。女とは違う体。
 だから敢えて言ってやる。脱がさなくてもわかるように。
「そうかもしれませんね」
 ほらまた。
 だから傷つけたくなる。
「俺のこと、実はすげー嫌いでしょ」
 雨のせいだと言うにはあまりに冷たい手のひら。情欲のないことなど明らかだ。
 だったらいっそそれでいい。嫌われているのならそれでいい。憎んで恨んで壊してしまいたいとか、単なる欲求の充足のためだとか、そんなもんでも構わない。
 気持ちなど求めてはいない。
「…そうかもしれませんね」
「それか、すげー、好き?」
 気持ちなど求めていない。
 そのくせこうして組み敷かれることに理由を欲しがる自分と、あくまでも想像に任せる彼とのあいだにあるのは一体なんなのだろう。確かなことはわからない、けれど、土砂降りの雨にすら揺るがされるようなきっとちっぽけな。
「そうかも、しれませんね」
 繰り返される生温い返事と、無遠慮に当たる攻撃的な雫。
 苛々はますます募るばかりだ。

081晴れ(20060602)
晴れに会いたい。
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