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夜毎重なり合っている。それでも足りない。 「八戒、」 「なんです?」 目の前で揺れる八戒の形。陽炎。夢幻。熱量はあるのに目に見えるそれは曖昧で、不安だ。だから呼ぶ。 「もっと、ちゃんと」 だから請う。 通じ合ったことなどないから不安なのだ。 傍に寄るほど、誰よりも近く大事な、大切な存在となるほど不安になる。客観的にではなく主観的になる。主観的になるほど悲観的になる。 たとえばいまこうして傍にいる彼は、自分の思い込みだけで作られたものではないだろうか、とか。本当は己の頭の中にしか存在し得ないものなのではなかろうか。こうして通じ合っていることは実をいえば自分の欲望が見せる幻。眼鏡に入ったヒビのように、フィルターを外してしまえばもう見えないものなのではないだろうか。現実は単純に友人同士で、同居人同士で、いやそもそも一緒に住んでなどいないのかもしれない。八戒という人物すら、自分が生み出した幻影だとしたら? 自分のことながら呆れるほど馬鹿げた不安だ。けれど出会いが出会い、再会が再会なだけにそれも否定できないと思ってしまう。 もしそうだとしたら耐えられない。その現実の存在の確証を得てしまったとしたら、いつも見えていたはずのものが実は眼鏡のヒビなのだとしたら、眼鏡を掛けるのが怖くなる。外すのが怖くなる。身動きが取れない。 だからこそ現実がどうであろうと、知らないふりをしている。 「八戒」 名を呼んで、確かめながら誤魔化している。 あまりに不安で、狂ってしまったのかもしれない。でも。 「悟浄も、ちゃんと」 笑いながら言われるそれが不安なままの心を上下左右に揺さ振るから、狂っていてもいいと思う。 だって、不安が薄れない。 |
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