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去年は、我ながら本当に波乱に満ちた時間を送ったと思う。 年が明けた瞬間に男に振られた。零時ちょうどに相手からのメールがきたからお約束の明けましておめでとうなのかと思ったら、さよならとかいう四文字しかなかった。思い返せば年越しすら一緒にいられなかったことをまず疑うべきだったのに、絵文字もなかったそれに除夜の鐘よりもド派手な衝撃が私の頭を襲った。 春には同期の男に告白をされた。しかし年末年始の衝撃からいまだ立ち直れていなかった私は男というものには当分関わりたくないと思っていたから、丁重にお断りをした。ら、仕事が終わったあととかなぜかそこにいたり、気づいたら背後にいたりしてなんとなく怖くなった。怖くなったがなにも言えなかった、けれど突如呼び止められて謂れのない説教をされたのをさすがに腹に据えかねて一言二言言い返したら、翌日から男が流した噂のおかげで職場の人間と気まずくなった。 夏のある夜仕事が終わってから、知った顔で飲みに出たはずなのに、気づいたら知らない男の家にいた。すっぽんぽんでいたからたぶんなにがしかの接触があったのだと思う。行ってきますと笑った男がテーブルの上に鍵を置いていった、それをつかんで慌てて仕事に行ったらなぜかそこに笑っていた男がいて、そういえばこのひとは仕事の上司だったと思い出した。既成事実から逃げられなくてそれから数ヶ月付き合ったけれど、そのうち相手が実家に帰ったまま帰ってこなくなった。クリスマスも真っ盛りなころ人伝に、「嫁が緊急入院したらしい」と聞いた。その夜自棄酒をしたら救急車で運ばれたけれど、嫁じゃない私に相手は駆けつけてはくれなかった。 そんな万丈な一年を経て、いま私の隣にはひとりの男が残った。 年末私の自棄酒に付き合わされたかわいそうな男で、私がゲロにまみれていたところを救ってくれた命の恩人でもある。 年齢は私より十八も上。身長も、百六十センチといたって標準サイズの私よりも十八センチでかいから寝転がるととても邪魔になる。そうして伸びているとどこからどこまでが体だかわからなくてたまに踏んでしまうその小指は、私よりも十八ミリ長い。稼ぎははっきり聞いた事はないけれど一応きちんとした職に就いているから、仕事をやめて現在はファミリーレストランでアルバイトをしている私よりも十八万は確実に多いだろうと推測する。 なにからなにまで私より十八多い。 「そのひとと結婚する気はあるの?」 週始めの今日は客入りも少なくてトレーを持ったまま暇そうに茫洋と立っていた私に、なぜかいつもよく話しかけてくる三つ上のパートさんが今日もまた話しかけてきた。 どんな話の流れからそうなったのか忘れたけれどいつの間にかあのひとの話になったらしく、十八の年齢差に興味津々といった様子でパートさんは訊いてきた。 結婚と言われてもぴんとこなかった私は一瞬、大きく取られた窓の外に目をやって、夕焼けの赤さを確かめた。右隣から手品の種を明かされる瞬間の子どものような視線が注いできていて、なんとなくうるさいなあと思った。 結婚。は。 「考えてない、です」 沈みゆく夕陽を、痛む目にもかかわらず注視しながら朧に答えたその声に、自分で気づく。 そう、なんと言ったらよいかわからないけれど、なんとなく。 「私は、結婚したくないんだと思う」 それは年末に起きた結果不倫の後遺症とか、親が結婚していなくて内縁状態であるとか、増してや相手に対しての不満からとかじゃなくて、単に結婚自体に興味がないから。する意味がわからないとか、したあとどうなるかとか、考えることも億劫なほど興味がない。 だって一緒にいることに紙切れは必要ないような気がする。 と、続けようとする前に重々しい口調でパートさんが言ったから、たぶん真意は伝わっていない。 「それ、相手に言った?」 言ったかな。 「たぶん、付き合う直前にそんなようなこと言った気がします」 あの自棄になっていたとき、クリスマスイルミネーションに文句をつけながら結婚がなんだー紙切れ一枚じゃないかーとか叫んだ気がする。 「あー…」 右隣から、ため息とも相槌とも知れないような唸りが聞こえた。言っちゃったんだーそりゃあまずいことしたねーとでも言いたげな「あー」だった。 「でも、」 大概あのひとと私の関係を聞いたひとは彼女のようにため息をつく。まるで私が彼のことなどなにも考えていないとでも言うように。 年齢を考えれば、あのひとが結婚を視野に入れて私とお付き合いをしていると、そりゃあ思うのかもしれない。だから、私が結婚をしたくないと思っているだとか、ましてやそれを本人に言っただとか知ると、相手方を思って切なくなるのだろう。 だから私はいつも、こうしてすぐに逆説を継ぐ。 「相手も結婚するつもりは、たぶんない」 「どうして?」 言い訳に聞こえたのだろうか、責めるような口調で彼女は訊いてきた。彼女の中の私はすっかり悪者に仕立て上げられているらしい。その思い込みになんだかすごく腹が立ったような気がしたけれど、夕陽がうるさくて腹が立っているのかもしれないと思った。 なぜならこれは私の言い訳では決してない。彼の名誉だ。 「だって、私より先に死ぬから」 高度を下げた夕陽がレストランを囲うように植えられたなにかの木にかかって痛いばかりの明るさを少しだけまろくしたけれど、あまりに見詰めすぎていたから目の奥にはまだ痛いばかりが残っている。そういえばこの木は桜の木だったなと思い出すには春はもう遠すぎて、間近に迫った夏の暑さになんとなく怯えた。 そう、なにからなにまで私より十八多いから、十八年は早く死ぬような気がする。 「深いね、」 しみじみと、感慨深げに言われた台詞。知ったふうに言われたそれがうそ臭く聞こえた。 夕陽はいよいよ沈没してアスファルトに横長の光を撒き散らす。 私には深いかどうかがわからない。 深いのかどうかわからないけれど、優しいとは思う。 切ないけれど、愛されているとは思う。 それだけでいいと言えるほど、私にはまだ十八のなにかが足りないのだと思う。 |
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