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余 韻

 熱気のこもった執務室、およそ執務とは関連しないような熱い息ばかり吐いて折り重なるふたつの体が床に転がっていた。
 ひとつは大層頑強そうな体でうつぶせに寝そべって、もうひとつはその頑強そうな身を隠し切るには少しばかり華奢すぎるような細いラインでもって、寝そべる彼の広い背中に顔を埋めて。互いが荒い息を繰り返すたびにふたつの体は同じように上下して、まるで呼吸を共有しているように見える。
「いいかげん、どけ」
 下敷きにされた状態から数分、疲労でだらけていた筋肉が好い加減に凝り固まりそうな頃合いになってようやく口を開いた捲簾の上で、呼気も収まっているのにいまだ固まったままそこに安住している天蓬は、情事以前から少しばかり機嫌を損ねていた。最中ももちろん、そしていまもまだ機嫌の悪そうな雰囲気で。
 天蓬の部下という立場になってからかなり経つ。いつからこうして体を重ねる関係になったのかなんて覚えていないし思い出したくもないけれど、そのような安易に口外はできない関係になってからも結構なときが経過している。それでもいまだ、天蓬がなにを考えているのか、自分は把握しきれない。自分の特技は、一度でも言葉を交わせば相手の傾向というか、思うところとか、そういうのをなんとなく理解できることで、だから気に入った相手には好みそうな話題を振ることができるし、鼻につく相手にはピンポイントで嫌味も言える。
 しかしそれが対天蓬となると、例えばいまみたいに機嫌が悪いとはわかってもその根底がいまいちわからない。話術も通じないから聞き出す術もない。相手の出方を知り尽くしていると自負していたのに、天蓬を相手にするとひとの思考を読むことなど到底不可能なのだと、思い知らされる。
「天蓬、どけって」
「疲れました?」
 堅い床に押し付けている肋骨が本気で痛み、せめて寝返りだけでも打とうと、顔の横にだらしなく垂れ下がった彼の腕をはたいたところで、ようやく上から声が聞こえた。自分のしたことを考えれば「疲れましたよね」と付加疑問にして問いかけてもらいたいところだ。
「これで疲れてなかったら、よっぽどだろ」
「僕は疲れてません」
 いまだ不機嫌な声音のまま疲労を否定する天蓬からは言葉と同様少しの疲れも感じられない。華奢な体のどこからその体力というか気力というか精力というか、が溢れてくるのだろうか。元気というのならばいまだ荒いままの息を必死に隠している自分がよほど滑稽に見えていることだろう、戦場では疲れた素振りなんか見せないのに天蓬の前では否が応でも見せることを強要されるその態を思い出すたびに情けなくなるが、拒否が通じないのだからしかたがない。
 というか、自分もはっきりと、拒否をしているだろうか。
「ねえ」
 うなじの辺りに顔を埋めているのだろう、耳元間近でそんなふうに囁かれたら正直危ない。彼が、冷静沈着な面とは似ても似つかないほど熱い息を吐くことを知っているのは自分だけなのか、とか、くだらないことを考えてしまう。せめて目を見て話ができれば駆け引きもうまくこなせるのに、彼から伝わってくる心音とか体温とかのほうがよっぽど露骨で、逆にこちらも露わなのだと思い知る。
「なんだよ」
 動揺を隠すように首を回す。到底背後までは覗けないが、それでもかかる吐息から逃げるには充分だと思ったのだ。
 安住していた箇所が動いたことが気に食わなかったのか、天蓬が動きだす気配がする。けれど捲簾の背中からどくわけではなく、ただ少し身じろぎする程度で終わったらしい。辛うじて息のかからないところに顔を背けてくれたらしいが、捲簾の背にかかる重みは相変わらずだ。見た目はあれでも彼も一応男性の部類に入るので、精力やその息の熱さ同様見かけによらず意外にしっかりとした重みがある。しかもそれは女性と違い柔らかなものではなく、骨張ってゴツゴツとした感触なのでそれなりに痛いわけで。
 もう一度自分の上からどいてほしい意志を告げようと口を開きかけたら、上から突拍子もない言葉が降ってきたのに驚いた。
「なんであなた、大将なんですか」
「は?」
「どうでもいいような部下とか、僕と面識のない立場にでもいればよかったのに」
 子どものように拗ねて文句を垂れながら、下に敷いた捲簾の体をこれでもかと抱き締めて天蓬は言う。
「おいこら、なんだっつんだよ!」
 唐突な言葉と行動に訳がわからず暴れてみたが、凝った体は動くたびに関節が鳴るだけだし、背に乗られた状態ではうまく逃げられもしない。
 それでも締め付けられた脇腹あたりがこそばゆくて、じたばたともがいてみたが、どうやら彼はまったくどく気がないらしい。ので早々に諦めた。無意味なことはしない主義。というか、床に這った状態でもがいているのも、傍から見たらみっともないような気がして。
 そのまま数分。
「ねえ、どうしましょうか」
 背中で、また呟きが聞こえた。
「…なにが」
 不機嫌だった先ほどと打って変わって神妙な声音になったので、聞き返す声がなんとなく恐る恐るになった。
「どうしたらいいかわからない、ほど」
 と言って、続きを言わずに途方に暮れたように言葉を呑む彼の言葉を引き継いだイメージが頭の中で乱舞した。
 好き、か、それとも。
「愛してるとか?」
 言った瞬間、自分の心臓が一段と脈打った気がしたが、それは自分の背にいる人物のものだと思いついた。錯覚かもしれないが、事実密着した肌からは先ほどよりも多少速まった鼓動が聞こえている。
 思わず口から滑り出してしまった問いかけだったから、答えはないほうがいいと思った。背中に感じる心音の方が如実だったので、答えを聞いたも同然だったけれど。
 数秒、いや数分、沈黙のあと「…さあ?」と誤魔化すような声が聞こえて、それでいいと、胸中で呟いた。



 愛しているなんて重すぎる。好きだなんて、甘すぎる。
 だからまだ言葉にはできない。言葉にできる感情なんてどうでもいい。
 この脳内で広がるイメージだけを頼りに、相手との感情を共有しているだけ。
 いまはまだ、それだけでいい。

026おし愛へし愛どつき愛(20070701)
何度も言いますが事後が大好き。
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