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「死ぬかも」 天井に張り付いた裸電球と、それよりも近い場所で揺れる彼の髪を、痛みと熱さで濡れた目に捕らえながら出した声は、我ながら本当に死にそうでなかなかに笑えた。 似非カミサマとの死闘を演じたあと、最高僧と名高い三蔵法師様の運転で死の境地に陥り、そんな中時折襲いくる刺客たちを薙ぎ倒して夜中、なんとか死なずに街にたどり着いたというのに部屋に入るなりこの様だ。体なんて泥だらけの上に血だらけで、安物ではあるが折角洗濯されて清潔なシーツがすでに薄く汚れている。そんな汚い体を上から下から舐め回している八戒だって、まずいし汚いしあまりよい気分ではないだろうに、だったらせめてシャワーだけでも使わせてくれればお互いのためにも、そしてシーツのためにもよいのにと思う。 頭の言葉は「死なないでくださいね」なんていうわざとらしいセリフを吐いた八戒に対しての答え。そんな彼は現在胸の辺りを熱い舌で弄っている最中だ。 「痛いですか」 「死ぬほどいてえよ」 さらりと訊いてくる八戒に本音で言う。 当然のことながら傷はまだ癒えるどころか塞がりきってもいない。数珠で貫かれた左胸なんて相当深いだろう。そんなところを舐めて攻めるなんて、前々からサディスティックな面を持っていると思ってはいたがそれは性癖などではなく、もしかしたらこいつは本気で自分のことを殺そうとしているのかもしれないと思う。いや三蔵に撃たれながらもその精神力で三人分の傷口を形だけでも塞いでくれた八戒だって、自分の傷まで手が回っていないのだから、もしかしたらこうして攻められている自分よりも痛みを堪えているのかもしれない。だとしたら心中狙いだろうか。馬鹿馬鹿しい。だったら最初から自分たちふたりの傷口だけ塞がなければよかったのに。 「だからなんで、いまなの」 「さあ、なんでですかね」 そう思案するように言いながらも体の動きは考える素振りを見せないあたり、彼自身もわかっていないのだろう。不可解なことに対して余裕顔でかわすことには長けているこのタヌキに、わからないことでなぜこんなにも攻め立てられなければならないのかと怒鳴ってやりたいがやめておいて、ふと思う。普段なら怪我をしていようがなんだろうが嫌なものは嫌だと思い切り抵抗するのに今日ばかりはなぜかそうする気にならない自分が不可解だ。けれど自分は八戒のように問題をわからないままにしておけない質なので、力めば皮一枚ぎりぎりで繋がっている傷口が開くし、そうなればせっかく応急処置をしてくれた八戒の労力が無駄になるから、と心の中で帳尻を合わせる。というかつまりそもそも、八戒が悪い。 我が物顔でひとの体に手を、舌を、這わせている目の前の男にすべての責任を擦り付けていたところで、ふと手が触れた。偶然に当たったというにはわざとらしいその感触に体の筋肉ではなく、奥のほうが緊張した。 「そこは、やめろ」 軽く、拒否をする。嫌がるというよりむしろ強請るような声だった。 案の定、狙われる。弄る手の代わりに今度は舌があてがわれた。 まずは舐めて、すっぽりと口中に納められる。瞬間思わず身をよじって、背骨に走った痛みに顔をしかめた。そういえばカミサマに何度か吹っ飛ばされるたび、なにかの砕ける音が背中から聞こえていたなと思い出す。あばらの背中側辺りが怪しい。 「いて、ぇんだけど」 「でも、きもちくないですか」 「でも、マジで、いてえ」 泣き言を漏らす。語尾が震えたのに情けないと思うが、痛い痛いと言っていると痛みが生き物のように体全体に伸びてゆくように感じて、いまや体全体が熱く痛い。病は気からとはよく言ったものだ。 中心から口が外された。顔の上に影が落ちて覗き込んでいるような視線を感じる。痛みに耐えるためいつの間にか硬く瞑っていたらしい瞼をうっすらと開けると心配そうな顔をした八戒と目が合った。 「どこですか」 三蔵や悟空に対する心配はしても自分に対してはあまり気に掛けない八戒の珍しい表情に少し怯む。いまさら心配するのか、自分でこんなことをしておきながら。 「…腰から背中あたりが、一番」 こんなにもあからさまに不安そうな顔なんて見慣れていないから、ふいと視線を逸らしながら答えた。一瞬嘘でもついてやろうと思ったのだけれどなんでそんなふうに思うのか自分でもわからなくて結局正直に言った。 思えばそれは直感だったのかもしれない。 次の瞬間、ちょうど指摘した箇所に激痛が走る。 「い…」 てえなこのバカ。 と怒鳴ってやろうとしたのに、続かなかった。直接与えられる快感と痛みに体が痙攣する。左手で砕けた骨の辺りを支えながら右手で芯をむちゃくちゃに擦る八戒に、こいつはやはり自分を殺すつもりなのだと確信した。 「死んだらニプレスですよ」 「そのほうが、っ」 死んだあとのことなんて笑いものにされようがなんだろうが、この痛みと快楽のごちゃ混ぜになった生殺しの状態よりもまだマシだと思えて、そう言おうとしたのに、次いで襲った下半身への衝撃に言葉がぶっ飛んだ。 痛みも飛ぶ。頭も飛ぶ。 実はゆっくりと挿入されるよりも一思いに突き入れられたほうが痛みも少ないと知ったのは何回目のことだったろう。いや、単に性格なのかもしれない。絆創膏を剥がすときのあれだ。じりじりとされると自分の場合痛みの上に恐怖も湧き上がる。痛みに対しての耐性はあるものの、恐怖に対してはどちらかというと弱い。だから幽霊なんかも苦手だ。恐怖はひとを狂わせる。 知ってか知らずか、これも何回目からだか忘れたがいつからか八戒は悟浄の望むようにしてくれるようになった。そうしてすぐには動かさず痛みが引くまで待ってくれる。まったくありがたいことだが、現状でいえばそれもお門違いで、気を遣うというのならそもそもこういう状況を作り出さなければよいのにと思う。 つまり、だから、なんでいまなんだ。 「死、にそ」 文句でも言ってやろうと思ったのに、痛みも充分に引いたころ、衝撃に堪えた息と声とで辛うじて吐き出した言葉はそんな、AV女優並みの安いものだった。 「僕も、」 同じように安い言葉で同意する八戒の首に手を回す。 そうしてゆっくりと動き出す。ベッドの軋む音も、裸電球も、お互いの獣じみた呼吸音も、すべてが安かった。同じように自分たちの命も、本当は安くちっぽけなものなのかもしれない。 ただそれは定価ではなく、誰かにこうして求められれば、それに比例して、値上がりする、本来は、値段なんて、ない… そこまで、考えるのが限界だった。 あとはただ闇雲で。 ただ死にそうな闇の中で、ああ生きていると、感じた。 |
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