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「悟浄、いま暇ですか」 灰色のコンクリート壁で囲まれた我が家。相も変わらず昼間のリビングでのらりと、駄目亭主のように寝そべっていたら、思いついた感じで八戒が声をかけてきた。 さきほどまで慌しく立ち回っていた八戒だったがふと気づけば家事の音もひと段落したようで、スリッパのかかとを引き摺る独特の足音も食器を擦る耳障りな音も掃除機の頭の奥を揺さ振るような機械的な音もすべてが止んでいた。食事も済んだこの時間の彼はいつも自分なんか無視して読書に没頭しているはずなのに、そう思って声をかけられたことになぜか嬉しくなる。 「暇、だけど?」 にやけそうになった顔を隠して平静に言い返せば、それはよかった、と幾分ほっとした声音。 「じゃあ少し、遊びませんか」 遊びってお前いくつだよ。 嬉しくなったのも束の間の八戒の言葉に思わず脳内で突っ込みを入れる。 駄目亭主同様相変わらず思考回路が理解しがたい彼と同居を始めてから自分はすっかり突っ込み役だ、哀しいことに。いや、べつにボケたいわけでもないけれど。しかし突っ込みは、なんというか疲れることが多い。いつボケられても対応できるように臨戦態勢をとっている肉体的にも疲労をするし、精神的にも、仕様もないボケを喰らったときの疲労は激しい。その点ボケは自分の好きなようにボケるだけボケればよいのだからとくに疲労もないように思える。某鬼畜生臭クソ小坊主のように攻撃的なツッコミをされない限り死ぬこともないだろう。 「ちょっと準備してきますね」 頭の中で漫才におけるボケと突っ込みの特性、その利点と損点等々をつらつらと理論的に解いていたら、悟浄の返答を待つことすらせず八戒が言って、はたと我に返ったときには既に遅し、なぜかいそいそと自室へと戻ってゆく八戒の後ろ姿が眼に入るだけだった。 まったく、なにを考えているのだか。 ため息の代わりに苦い煙を吐き出す。大方しょーもないテレビ番組でも見て思いついたのだろう、見かけによらず新しいものや面白そうなものに弱いミーハーな部分を持ち合わせている八戒はときたまにこうしたおかしな行動を起こしては周りにいる者(主に悟浄)を巻き込む。一度なんか洗濯機能つき米磨ぎ器とやらを福引で当てたらしく早速使ってみようとしたのか、転寝をしていた悟浄の衣服をこれでもかと引き剥がし特に必要もないのに洗濯をしだした。それだけならばよいものの出来上がった洗濯物は磨ぎ汁まみれで米糠くさく、乾燥すれば白い斑が浮かんだ。買ったばかり、お気に入りのシャツであったのに。 今回も同じような目に遭わされるのかと思うと、いまさらながら暇と答えたことを後悔した。 「お待たせしました」 「別に待ってない」 思い出して不機嫌になりながら、戻ってきた八戒に返答をするけれど、こちらの不貞腐れた雰囲気など気にも留めない様子で近寄ってきた八戒の手にはなんだかやたらとでっかい箱が抱えられていた。 よいしょ、と嘘くさい掛け声を出しながら床にそれを置いた八戒の後ろから、ソファから乗り出した格好でパッケージに印字してある文字を読み上げる。 「ラブセンサー?」 「愛を測る機械らしいですよ」 一瞬、沈黙。 愛、…愛? 「なにそれ」 「愛は愛ですよ」 いやあの、どうしてお前そんな平然としてんだよ。 またもや脳内で突っ込み。 「知らないんですか、」 「知ってるけどよ、」 平然としたままバカにしたように言ってくる八戒に頭を抱えながら。 やっぱり、突っ込み役は疲れる。 「だって、面白そうでしょう?」 新しい玩具を与えられた子どものようにはしゃいで箱をこねくり回している彼は本当に興味津々といった風情で、背後で頭を抱えているこちらのことなど気にした様子もないから、またまた頭痛がひどくなる。 悪循環だ。 「つーかさ、ええと、」 言葉を捜しあぐねて接続詞ばかりを羅列しても包装を解いてゆく八戒の手は止められないらしい。紙に巻かれていたダンボールをことさらゆっくりと開けてビニール包装だらけの中身を個々に取り出す。 本当に悪循環だ。 「だからそんなん、俺らのあいだにあるかって話」 どうせこちらのことなど気にも留めないとわかっていながら、口唇に挟んだ煙草が落ちないように口元を手のひらで覆って、ついでに白々しいセリフに震えた口唇を隠した。 「やってみないとわからないですよ?」 背中を向けたままかなりの量のパッケージを開けて、なにやらうにゃうにゃと蠢くコードたちを説明書も読まずにてきぱきと組み立てている八戒がさらりと言った。 「まあ別に、あなたの偽善的愛なんて欲しいと思わないんですけどね、試すくらいならいいかと」 言い訳のようにも聞こえるのはただの自分の期待だろうか、そんなふうに思いながら咥えたまま短さを増してゆくハイライトを灰皿へと捨てようとした、その指先に八戒の白い手が伸びる。 呆気なく攫われた指先が震えて、灰を撒き散らしながらハイライトが、灰皿の隅へと落ちた。 「…なに」 「これ、巻くんです」 血圧を測るときに腕に巻きつけるマジックテープつきのベルトのようなもの、の格段に小さいやつを引っぱり出して指し示す八戒の指にはいつの間に巻いたのか既に同じものが巻きついている。左手の薬指なんてお誂え向きの場所につけているから嫌味かなにかかと思ったら「心臓に近い場所じゃないとダメなんです」と八戒が講釈してくれた。 「これ、お互いが手をつないでどきどきしたときに出る汗やら体温やらに反応するらしいですよ」 さっさと巻けばよいものを、攫った指先をあーでもないこーでもないといじくりながら八戒は講釈を続けるから「ふーん」とやる気のなさそうな返事をした。実際、特にやる気もないのだけれど。 「我慢、できそうですか?」 やる気のないまま、天井を見上げて煙が八戒にかからないようにしてから煙草に火を点けようとして、訊かれた言葉に固まった。 我慢、…我慢? 「…誰がだよ」 「自覚ナシ」 「お前こそ」 「ご心配なく」 「嘘つけ」 鼻で笑い飛ばしながら引きつった。こうして指先を弄ばれるだけで噴出すおかしな汗に、気づかれているような見抜かれているような。 「試していいですか」 自分の指に巻いたテープを確認のためにもう一度とめて、あとはもうスイッチを入れるだけだろうところまできて言うことでもないのに、わざわざ心拍をあげようとするかのように下からねめつけて八戒が訊ねる。試すという言葉に嘘はないようでその瞳には実験前のマッドサイエンティスト特有のサディスティックな光が浮かんでいて、悟浄は諦めたようにひとつ頷いた。とりあえず煙草はやめておこう、ニコチンは身体の酸素を奪うからと、最後の悪あがき。 八戒の白い指が機械に伸ばされる。 スイッチを入れる指先が微かに揺れているように見えたのは、気のせいだろうか。これも自分の期待だったのか、それとも自分が揺れていたのだろうか。 「入れますよ」 「おお、」 お互い機械に釘付けになりながら、最後の確認をする。深呼吸をして心拍を落ち着けていたら隣から、自分よりは少しばかり小さい音で同じ呼吸音が聞こえた。 平面機械に出っ張ったスイッチをかちり、と八戒の指が圧して。 … … … 十、パーセント。 触れ幅の大きな指針がやがてゆっくりと制止した場所は、なんとも腑抜けるほど。 「ま、こんなもんでしょ」 腑抜けすぎてお互い、炭酸の抜けた飲料水のように気抜けしていたら、先に覚醒したらしい八戒が気を取り直してそう言ったセリフで、こちらもようやく覚醒する。 こんなもん、か。 「…まあ、そうだな」 「悟浄、」 別にその数字に不服があったわけでもないのになぜだか不機嫌な声で言った相槌に、八戒の呼びかけが重なった。 「しましょうか」 「…は?」 「汗、かきましょうよ」 そう言った八戒は、自分よりもよほど不機嫌な顔をしていたように思う、それも、気のせいだろうか自分の期待か、それとも。 左手の薬指だけでかろうじて繋がっているコードの先を引っ張られて、切れないように思わず一歩踏み出した身体に八戒の手が回って引き寄せられた。 その、八つ当たりのような強さに心拍があがる。 「…やっばいわ、」 近寄ってくる口唇に流し込んだ呟き。 「なにがですか?」 「秘密」 八戒の肩口に表情を埋めてはぐらかす。 だって俺、いま、絶対嬉しそうな顔してる。 |
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