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自 分 の 手 を 引 い て 抱 き し め る こ と が で き た 日
世 界 は 私 に 笑 い か け た

 年に一度必ずまわってくる忌々しい日は、必ず夢に見る。
 その夢は自分の視界に映る範囲を留めていて、月並みと言わんばかりの一面の闇の中に、ぽっかりと浮かぶ小さい子供の姿を発見する。地べたに座り枯れる程大きな声で泣き叫ぶその子供に一歩近づく度、鮮明になる視界に入る髪の色は真紅。嫌という程それが誰かが軋む心臓に刷り込まれる。背後まで来て足を止めると、その子供が泣くのを止めてこちらを見上げる。吐き気がする程に怯えた瞳は、息をすることを忘れてただ真紅の瞳に俺の姿を映し動きを止める。

 そのまま、忘れちまえよ、全て。

 そして俺は必ず、その子供の首に手をかけて静かに力を込めてやる。後少し、唇が色を失い瞳が光を失う寸前。闇はいつも俺を包み、どこか心の休まる悪夢は終わりを告げるのだった。




 …なーんて。野宿が決定した森の中、水分確保の為に訪れた小川のほとりでぼんやりと俺は、煙草をふかしつつそんなことを思い出した。肉体労働は俺の仕事だからと、こちらの言い分を聞く耳持たずで水分貯蔵タンクを渡したのが笑顔全開の八戒だったから、俺は逆らえずに今こんな所にいるんだろう。
「ったく、人使い荒いんだよ今に始まったことじゃねぇけど」
 ぶつぶつ言いながらもしっかりと仕事をこなしていく俺は、自分で言うのもなんだが偉いと思う。
 そよそよと撫でていく風が丁度いい具合に、汗でじっとりとしてきた体を冷やしてくれて気持ちよかった。大体、肉体労働言うなら俺は悟空とセットになってるはずなのに。別に認めた訳じゃねぇけど、あの猿が頭脳派にまわるのは残念ながら俺が生きている間にゃ見れないだろうと思うし。その悟空を置いて、俺1人を行かせたのには訳あることは明確で。
「っし、完了」
 軽く5キロはあると思われるタンクを景気良く叩けば、水がいっぱいに詰まった重たく力強い音が返事をくれた。それを片手で軽々と持ち上げて、元来た道を再び歩く。こういう時に、常日頃世の女性達を喜ばせる為に鍛えていた体が役に立つのは微妙にありがたい。…別に、だからって俺が肉体派に属することを強調するわけじゃねえよ?ただ、この姿を世の女性達が見たら、「男らしい」とか「かっこいい」とか言って惚れること間違いなし…って、自分で思っててすげぇ虚しくなったし。
「この道でいいんだよな」
 答えなんざ返ってこないが、何の目印もないまま似たような森の中を歩いているとちょっとだけ不安になる心を誤魔化そうと思って独り言を言ってみる。さく、さく、と自然を踏みしめ一歩ずつあいつらのいる場所に近づく度、少しずつ心拍数が上がって身体の末端が冷えてくる。自覚がなきゃ何とも思わないんだろうが、自分でわかってるから性質が悪い。
 今日は11月9日だ。あいつらは、俺の誕生日を祝うのに準備をするため、俺を1人別行動にした。これをあいつらに会った初めの年にやられた時は、正直どう反応を返していいかわからなかった。酒場や女の前では簡単に作れる笑顔も上手くいかなくて、大層微妙な表情で過ごしていたに違いないと思う。それでも、あいつらは不思議な顔一つしないで、普通に笑って過ごしてくれた。そして、次の年、そのまた次の年と、初年度の俺の反応の悪さを見ただろうに、それにめげずに懲りずにあいつらは俺の誕生日を祝った。年を重ねる毎に、少しずつ俺の違和感は取れていった…はず。じゃねぇと、いつまでも初々しい反応ってのはちょっと恥ずかしいし。だから、今回のこの微妙な緊張感も、慣れたと言ってもまだ4回目の出来事だから仕方が無いと思うことにして、足を進める。
 そういえば、先程の夢のことでまた思い出したことがある。それは、初めてあいつらに誕生日を祝われた日、っつーか、年。俺はあの夢を見なかった。母さんが死んでからずっと、必ず見ていた夢を、初めて見なかった。翌日、起きた時には奇妙な感じがして、気味悪いような、すっきりしないような感覚に陥ったっけ。
「…? 確か、ジープがあったのはここだったよな…?」
 担いでいたタンクを地面に置き、俺は辺りを見渡す。確かに、俺が出かける前まではジープはこの場所にあったハズだ。流石にジープの場所を忘れるのは間抜けすぎると思って、目印のこの大きい樹だけは覚えておいたのをはっきりと覚えている。
「…おい、三蔵、悟空、八戒。どこ行ったんだよ、ジープ」
 疲れから来るやる気のない声で周りに呼びかけても、返事は帰ってこないどころか、音が立つ気配もない。…ってことは、本格的に俺は迷っちまったってことか?…相当情けない…っつーか、ばれたら確実に笑われる。それだけは死んでも勘弁…っと、思っていた所に。
「ピーッ!」
 急に甲高い鳴き声と共に白い物体が俺の頭を直撃してきた。と言っても、正確にはその羽でばさばさと視界を遮られたんだけど。
「おわっ ジープ!?」
 油断していた俺は咄嗟のことに身をかがめようとして無様にも、踏み外して思い切り地面に尻餅をついた。…情けねぇ。
「悟浄かっこ悪ぃ!!何そんなにびびってんだよ!」
 うるせぇよ猿。んなこと自分でもわかってるっつーの。ってか、やっぱり近くにいやがった。少し離れた茂みの中から、情けない俺の姿を笑いながらあいつらが出てくる。…嫌、一人だけ笑ってない奴がいる…と思ったけど、噛み殺してんのがバレバレなんですけど、最高僧様。
「てめぇらがジープ隠すから、場所間違ったかと思って焦ったじゃねえか」
 悔しいから立ち上がりながら悟空へ駆け寄ってその頭を軽く小突いてやろうとしたら、それに気付いた悟空が慌てて後ろへ下がった。逃がすつもりなんかさらさら無かった俺は、そのまま両脇にいた三蔵と八戒の間をすり抜けて悟空に詰め寄ろうとした、時。

パァンッ!

 耳元で突然の破裂音。焦った俺がもう一度、今度は前から地面にすっ転ぶと、上の方からハラハラと降ってくる色とりどりの細かい色紙。これは…こいつら…
「「「ハッピーバースデー、悟浄!」」」
 続く大合唱。そして、1人だけ出遅れた悟空が俺の目の前で楽しそうにクラッカーを開けた。
「ってめーら!耳元でクラッカーならしたら鼓膜が破れるかもしれねーだろうがっ」
 思わず大声で抗議をした俺を、しかし3人は全く意に介さずに口を開く。
「大丈夫ですよ。現に破れなかったでしょう?」
「また一つオジサンになったんだな悟浄。三蔵と同い年じゃん」
「なかなか面白いアホ面だ」
 まぁまぁ、好き勝手言ってくれちゃって。今俺がどれだけ緊張してるか知らねーだろうに。全身冷たくなって、思わず指先なんか震えちゃってるんだぜ?
「さあ、折角の誕生日なのに野宿になってしまって申し訳ありませんが、それでもいつもより腕によりをかけて料理作りましたから。もう準備も万端ですし、行きましょう」
 小さい子でもあやすかの様に、俺の頭に、ぽん、と手を置いて八戒が言った。その声は早く食べてもらいたいのか、期待で弾んだものだった。八戒の料理、しかも腕によりをかけて貰ったら、その味は保障の上に確証までつけちまう。しかも、3年の同居期間のおかげで、俺の好みは完全に把握してもらってるし。
「俺も手伝ったんだぜ。八戒と一緒に料理作ったんだ」
「猿に料理なんかできたのかよ?邪魔しただけじゃねえの」
「んだと!?悟浄に食べてもらおうと思って頑張ったんだからな!」
 悟空の言葉に、俺はからかう様に返事を返すと、むきになった悟空が「早く見せてやる!」と言わんばかりの勢いで、八戒の腕を引っ張って料理を用意してある所まで駆け足で走っていく。
 わかってるよ悟空。お前はいつでも真っ直ぐだから。こうして俺の誕生日を祝ってくれる為に、本当に頑張ってくれたんだろ。嬉しいってちゃんと思ってるけど、ま、俺もこの性格だから。素直には言えねぇけどさ。八戒だって悟空だって、その気持ちはちゃんとわかってるから。
 と、俺も2人の後を追って行こうとした時、ふいに三蔵に腕を掴まれて身体が大きく跳ねた。一瞬、呼吸のリズムが乱れる。それに気付かれないように小さく深呼吸して、ゆっくりと、ぎこちなさがバレないように、三蔵の方を見た。かち合った俺の紅玉に映る紫暗の瞳は、優しく俺を見る。
「もういいだろう」
 ぽつり、と三蔵が言った。一瞬何のことかわからなかった俺は、はっと、自分の身体の変化に気付く。先程まで大きく早く鳴っていた心臓も、冷たく生きた心地がしなかった身体も、震えていた指も。全てが収まり、俺の身体には温かい温もりと心地よさが残っていた。
 過去3回、こんなことは無かった。自分でもこの変化に驚いていると、全てを見透かしていた三蔵が、呆れたように笑って。そう、笑って、言った。
「遅ぇんだよ、お前は」
 これは。この変化は戸惑い、拒絶するものじゃなく、これは。
「…ま、人には人のペースがあるってことで」
 身体の中心、芯の芯から自然と湧き上がる温かさは、初めて体験するものだったが、悪い気は、欠片もしねぇ。
「でも…確かに、遅かった、な。…4年もかかっちまった」
 言葉にしてしまえば、何とも馬鹿らしく。軽くなった心が、俺の顔に笑顔を呼ぶ。
 それは、この日初めて心から自然に出た笑顔だった。




 その日の夜、俺は久々に夢を見た。
 相変わらず視界は暗くて、小さな子供がその中心で泣き叫ぶ夢。久々…というか、4年ぶりのその感覚に、俺は再び子供の方へと足を向ける。しかし、その心は今までとは確かに違った。
 背後に立つと、子供は怯えた目で、息をすることを忘れて俺を見上げる。俺はその様子をじっと見た。目は、泣きつかれて腫れ上がってる。その小さな身体は、色をなくして小さく震えていた。たったそれだけのことなのに。今までの俺はその子供の様子にちっとも気付きもしなかった。
 そうして、俺は手を伸ばす。いつものパターンだった。ただ、俺は本当に知らなかった。その時の子供が、こんなにも恐怖を押し殺した目をしていたことも。その恐怖の中に、どれだけの温もりを求めていたのかも。俺は、救いようのない大馬鹿だった。
 首にかける手は、そのまま首を通り過ぎ、優しく背中を抱きすくめる。驚いたのは子供だった。その大きな目を更に見開いて、何が起きたのか理解できないといった表情をしている。

 …悪かった。悪かった。

 だからもう、こんな風に怯える必要も、震える必要も、泣き叫ぶ必要も、懇願する必要も、自分をいらないと思う必要も、ねぇから。気付くのが遅かった俺を、怯えて、怖がって目をそらしてた俺を許してくれ。ようやく、自然に笑えるようになったから。
「行こう」
 俺は、優しく笑って俺に語り掛ける。まだ驚いているのか、何も言わずに俺を見上げているから、俺はその手をとって少しずつ、歩き出した。それと同時に、少しずつ視界が明るくなっていく。ぼんやりと、覚醒が近づいていることを感じながらも、俺は黙って歩き続けた。やがて、ほとんど白くなった視界の中心に、僅かに輝く光が見える。それを指指して、俺達は歩き出した。


 夢は、そこで終わる。どうやら続きは来年に持ち越されるらしい。
 けど、その続きはもうわかっている。途切れた夢は、その続きから始まり、小さい俺の手をとって歩く俺は、そのまま、見た光の中へと進んでいくんだろう。

 そして、光を抜ける。その先にあるものは、きっと、




 きっと。

色々こんぺい糖】子ねずみさまより
DLフリー
子ねずみさまが悟浄の誕生日に日記で書かれていたお話です。フリーとのことだったのでかっぱらってまいりました。ここにいる悟浄がすごく好きで、ぎゅーって抱き締めたかったからです。普通に泣きました。悟浄はずっとずーっとこんな思いを抱えていたんだなあと思ったら自然に泣けました。すごく好きです。好きです。ありがとうございました。
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